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2005年 06月 09日
スコット・フィッツジェラルドが『夜はやさし』のモデルにし、嫉妬まじりながらも憧れと親愛のきもちを寄せた、ジェラルド・マーフィとセーラ・マーフィ。ジャズエイジと後に謳われた1920年代、フランスに居を定め、芸術と生活と人間を愛した教養あるアメリカ人夫婦の、華やかながらも落ちついた生活を描いたノンフィクションの傑作。ついに復刊(新潮文庫)。
何しろ、マーフィ夫妻のお友達っていうのがスゴイ。ピカソ、ヘミングウェイ、コール・ポーター、ガートルード・スタイン、ドロシー・パーカー、ジョン・ドス・パソス、レジェ、スコット&ゼルダ・フィッツジェラルド、ディアギレフ、ストランヴィンスキー、ミヨー、エリック・サティ、エチエンヌ・ド・ボーモン伯爵夫婦・・・、20世紀初頭の芸術家たちが勢ぞろい。その綺羅星のような名前が飛び交うなか、マーフィ夫婦はしっかりと地に足のついた趣味のよい生活を送っていきます。「斬新きわまりない、あらたな発明品」「ふたりの想像力が共同してつくる作品」としての生活を。 「暮らしの芸術の達人」と言われた彼らは、とにかく人間的魅力にあふれた人たちだったようで、ドス・パソスをして「マーフィ夫婦といっしょのときは誰もが最高の自分になれた」と言わしめ、ピカソも「セーラといるとほんと嬉しくなる」と絶賛したほど。 スコット・フィッツジェラルドは、そんなマーフィ夫妻に憧れて仕方がなかったようで、そこらへんのくだりはかなり面白いです。マーフィ夫婦の気をひくために常軌を逸した行動をくりかえし、さらに『夜はやさし』でマーフィ夫婦を恥も外聞もなくそのままモデルにしておきながら、途中からその登場人物をスコット&ゼルダそのものにすりかえていく。つまり、スコット・フィッツジェラルドはジェラルド・マーフィになりたくて仕方なかった。「誰かを好きになると、ぼくはそのひとみたいになりたくてたまらなくなる」と書いたフィッツジェラルドは、作品のなかでそれを実現したのでした。天晴れというか、切ないというか。。 そんな誰もがうらやむ生活をしていたジェラルド・マーフィですが、いつかスコット・フィッツジェラルドにこう語ったそうです。 「人生のじぶんでこしらえた部分、非現実的なところだけが好きなんだ。ぼくらにはいろんなことが起こる――病気とか誕生とか、ゼルダのプランジャン入院とかパトリックのサナトリウムとか義父ウィボーグの死とか。それらが現実だ、どうにも手のほどこしようがない (中略) (そういう現実のことを)無視はしないが、過大視したくない。大事なのは、なにをするかではなくて、なににこころを傾けるかだとおもっているから、人生のじぶんでつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ」 マーフィ夫妻のこうした華やかなフランス(パリとリヴィエラ)生活も、実際は短い期間でしかなく(1921年~1933年)、その後ニューヨークに戻ることになります。そのフランス時代に、ジェラルドはモダニズム的な絵を描いていました。それは、60年代のポップ・アートの先がけとして、後に高い評価を得ることになります。カミソリや時計や蜂や梨などの身近なアイテムをバカでかいスケールで抽象的に描き、奇妙な具合に配置した作品は、とにかくモダンでスタイリッシュ。この、カーンと音でもしそうな明快さと大胆さ! ここで↓いくつか見ることができます >>Gerald Murphy >>MoMA所蔵の『蜂と梨』 ちなみに、「優雅な生活が最高の復讐である(Living Well is the Best Revenge)」、な~んていう一瞬ひいてしまうほどカッコイイタイトルは、ジェラルドが好んでいたスペインの諺だそう。くーっ。そんな復讐なら私もやってみたい!!
by houtoumusume
| 2005-06-09 23:02
| ◆本
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