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2006年 02月 11日
【制作】1970年 ATG 【監督】吉田喜重 【脚本】山田正弘、吉田喜重 【音楽】一柳慧 【出演】岡田茉莉子(伊藤野枝)、細川俊之(大杉栄)、楠侑子(正岡逸子)、 高橋悦史(辻潤)、稲野和子(平賀哀鳥)、八木昌子(堀保子)、伊井利子(束帯永子)、原田大二郎(和田究) 革命! 革命という響きには、どうしても魅力的なものを感じてしまいます。といっても、別に、その~、現在の社会制度の転覆を狙っているだとか、天皇制に反対しているだとか、そういう危険(?)な思想は持っていませんけど、、社会構造が大きく変化して従来の価値がガラッと変わる、という大きな「動き」のある状態というのは、やっぱり単純にドラマティック。もちろん、池田理代子の『ベルサイユのばら』(フランス革命)だとか、池田理代子の『エロイカ』(フランス革命)だとか、池田理代子の『オルフェイスの窓』(ロシア革命)だとかの少女漫画の影響が大きいのは言うまでもありませんが(全部、池田理代子)。 しかし、そういえば日本に革命ってあったっけ? と思うと、ウーン・・・と言わざるを得ません。確かに、例えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝だとか、室町幕府を開いた足利尊氏だとか、天下統一を目指した織田信長、それから徳川幕府を倒した明治政府、などなど考えられますけど、これって革命っていうのとはちょっと違っていて、単なる政権交代ですよね。政権の傍らには一貫して「朝廷」という存在があって、朝廷から独立した政権を打ち立てる為に、必ず朝廷の「お墨付き」をゲットして自らの正当性を証明しようとしているわけですから。源頼朝も足利尊氏も、朝廷から「征夷大将軍」というポジションを貰ってから、安心して幕府をスタートしていますし。徳川家康だって、朝廷から「征夷大将軍」というポジションをありがたーく頂戴して徳川幕府をスタートさせちゃったもんだから、幕末になって地方の武士連中から「よく考えてみたらサ、天皇様が政権をとるのがホントなんじゃなかったケ?」とか言われちゃって、「そりゃ、まぁ、元をたどればそーだけどね・・・(バレた?)」ってなわけで、徳川幕府終了。なんだか世話ないよね・・・っていう感じです。「朝廷」っていう絶対的存在があって、そこから保証される軍事政権が次々に変わっていくだけ。えーじゃあ、フランスやイギリスやロシアでの革命の担い手となった「市民」は、日本ではどうしていたのよー?と思うわけですが(日本に「市民」がいたかどうかはまた別の話として)、庶民はと言えば、「考えるのメンドーだからどっちでもいーよ、オレらの生活さえ安定していればいーから、そこんとこヨロシク!(by YAZAWA)」とばかりにお気楽感覚(つまり当事者意識ゼロ)でいたんじゃないでしょうか? 日本人は昔も今も、別にそれほど変わっていないというわけです。 ちなみに、織田信長だけは、もしかして革命家だったのかも?と思わないでもないです。なぜなら、朝廷からせっかくもらった「右大臣」というポジションを「コレ、もう使い終わったから返しますわー」てなノリで返却しちゃってますし、その後に「征夷大将軍」「太政大臣(左大臣・右大臣の上の位)」「関白(実質的に公家の最高位)」のどれかを与えよう、という朝廷からのありがたーい申し出にもなびかなかったそうですから。といっても、当時の天皇だった正親町天皇に譲位を求めていて、新しく自分の息のかかった天皇を擁立しようとしていたそうなので、やっぱり信長でさえも、朝廷という存在は無視することができなかったようです。比叡山延暦寺は平気で焼き討ちしたクセにね。。 と、前置きが長くなってしまったのですが、先日、吉田喜重の回顧上映に行って来ました。高校生くらいの時からずっと見たい見たいと思っていた『エロス+虐殺』。この作品は、日本の革命家・大杉栄と、その妻・伊藤野枝のエピソードを主軸にしたもの。歴史好きの方は当たり前にご存知だと思うのですが、この大杉栄と伊藤野枝という革命家カップル周辺の話は、本当にドラマティックというか・・・とにかく凄い。壮絶です。 まずは、革命家であり、無政府主義者(アナーキスト)、大杉栄について。 1885年生まれ。軍人の父をもつ大杉栄は、軍人エリートコースを歩むべく、14歳で名古屋の陸軍地方幼年学校に入学。ところが、「尊敬も親愛も感じない上官への服従」にイヤ気がさした彼は、問題を起こして結局退学。その後、東京外国語学校(現・東京外語大学)でフランス語を学びます。 そんな中、大杉は、社会主義結社「平民社」(幸徳秋水や堺利彦らが創設)に参加。社会主義者として、さらには無政府主義者(アナーキスト)として、精力的に活動するようになっていきます。もちろん、そのたびに投獄されるのですが、そんなこと「へ」とも思わない彼は、「一犯一語」、つまり、一回犯して投獄されるたびに外国語を一つ習得する、ということをモットーにする始末(←ホリエモンがマネしてそう・・・)。実際語学の才能はとび抜けていたそうで、ダーウィンの『種の起源』やファーブルの『昆虫記』なんかを日本で初めて翻訳したのは、大杉栄だったりします。 そんな大杉栄が、伊藤野枝に出会ったのは、1916年(大正5年)。内縁の妻、堀保子(堺利彦の義妹)がいたにも係わらず、2人は急速に惹かれあうのでした。 というわけで、伊藤野枝について。 1895年生まれ。実家は福岡県の廻船問屋だったそうなのですが、祖父の代に没落し、父親は瓦職人として身を立てるという貧しい環境で育ちました。が、実業家の叔父に猛烈に頼みこんだ末に、上野高等女学校(現・上野学園大学)に入学。このあいだ、故郷でアメリカ移民帰りの青年と「アメリカに行けるかも!」というだけで結婚したものの、式の翌日にサッサと逃亡。上野高等女学校の英語教師だった辻潤(後にダダイスト文人として有名になる)の家に転がりこみますが、辻潤は「生徒を誘惑した」かどで教師をクビに。それでも2人は結婚し、2人の子どもをもうけます。 1912年(大正元年)、18歳の野枝は、平塚雷鳥(らいてう)の主宰していた「青踏社」に入社。書き手としてもメキメキ頭角を現します。一方、平塚らいてうは、5歳年下の恋人・奥村博史(画家)と共同生活を始めるのですが、「青踏社」の同人たちはこの若い恋人が気に入らず、グループ内に亀裂が入り始めます。仕事にも生活にも負担を感じていた平塚雷鳥は、『青踏』を野枝に譲ることにし、1915年(大正4年)から『青踏』の発行人は、伊藤野枝になるのでした。伊藤野枝、大出世! ちなみにですが、年下の恋人・愛人のことを「若いツバメ」と言ったりしますが、これは、平塚雷鳥の5歳年下の恋人・奥村博史の書いた手紙が由来。雷鳥と奥村の恋愛関係が発覚して青踏社内が大騒ぎになった際、奥村は、「静かな池で水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ、一羽のツバメが飛んできて平和を乱してしまった。若いツバメは池の平和のために飛び去っていく」という手紙を残して、雷鳥から身をひいたのでした。といっても、すぐに2人の関係は再熱するんですけどね・・・(そして後に、結婚)。 (右写真は、平塚雷鳥&奥村博史) そんな大杉栄と伊藤野枝の恋愛関係は、とうとうあの有名な「日陰茶屋事件」に発展してしまいます。 1916年(大正5年)。大杉に惹かれた野枝は、夫の辻潤と2人の子どもを捨てて、大杉のもとに走り、本郷の菊富士ホテルで同棲生活を送るように。ところが、大杉には、保子という妻がいる上に、神近市子(←『東京日日新聞』の女性新聞記者)という愛人までいたのです。そもそも大杉は以前から「自由恋愛」の思想を唱えておりまして。 1.互いに経済的に自立する 2.同居することを前提にしない 3.互いの性的自由を保証する 名付けて「フリーラブ3ヶ条」。アナーキズム極まるところ、恋愛アナーキズムにたどり着く(・・・のか?)。といっても、収入なんか無いに等しい大杉は、神近市子からの金で暮らしていたんですが。 そんな大杉でしたが、ある日、コッソリと野枝を連れて葉山の「日陰茶屋」へ。これを知った神近市子は逆上し、短刀をもって葉山へ直行。部屋にイキナリ現われた市子と、浴衣姿の大杉と野枝は、気まずいまま3人で夕食を食べ・・・気まずいまま3人で布団を並べて就寝・・・。翌日、いたたまれなくなった野枝は東京に帰ってしまいます。その日の夜、2人きりになった大杉と市子は口論になりますが、やがて眠ってしまった大杉の首を、市子は一突き! 大杉は、「左頚部に深さ2寸(=約6.6cm)の重傷」を負ったにも係わらず、命をとりとめます。一方の市子は海に身を投げようとして死ねず、警察へ自首。市子は、2年の刑で服役しました。 神近市子。骨格のしっかりした、キツイ感じの美人。 服役後の市子について、先日ブログでも紹介した(→こちら)『朝日新聞の記事にみる恋愛と結婚 明治・大正』に記事がありました。 「神近市子は二年間の獄中生活を終へて、八王子分監を出獄した、・・・頭髪をお下げにし、セルの単衣に、金茶色博多の帯をしめ、風呂敷包みを抱へ、ゴム草履をはいて居た。顔色は幾分蒼白であったが頬の色も肉付きもよく、さほど痩せては居らぬ、清々しい面持ちで淋しい笑顔を見せつつ・・・」その後、神近市子は評論家・鈴木厚と結婚し、婦人評論家として活躍。戦後は、社会党から衆議院議員となり、売春禁止法の制定に尽力し、1981年に亡くなりました。 大杉栄と、伊藤野枝と、娘の魔子。 ところで、映画『エロス+虐殺』ですが、この映画はストーリィがあってないような作品。上映前に挨拶に現われた吉田喜重監督は、「この作品は、夢のような映画です。夢のなかにいるような感覚で見てください」と言っていました。ストーリィというほどのストーリィは無く、大正時代のエピソードと、現実の若者のエピソードが、交互に描かれていきます。(現代の若者エピソードで、原田大二郎がやたらと無意味に叫びまくったり、若い女が「私を殺せないのね!」とばかりにやたら男を挑発したりするのは、さすが1970年代、さすがATG製作って感じでした。) 『エロス+虐殺』は、上映された当時(1970年)、未だ健在だった神近市子によって「プライバシーの侵害」として訴えられていたそうです。そのため、日本でなかなか上映できず、最初に上映されたのがパリだったとか。今回上映に際して、夫の吉田喜重監督とともに現われた岡田茉莉子は、感極まったように涙ぐんでいましたが。 『エロス+虐殺』での日陰茶屋事件は、神近市子が大杉を斬る、大杉はそれを受け入れて死ぬ、伊藤野枝が大杉を斬る、大杉が死ぬ、などなど複数のヴァリエーションが次々に描かれ、観る者の「つじつまを合わせよう」という感覚は次第にマヒしていきます。でも、どちらにしろ、大杉栄は死ぬんですよね。結局、殺される運命にあるわけです、彼は。こういう人は、とても長く生きられない。実際、日陰茶屋事件では生き延びたものの、結局その7年後、憲兵によって虐殺されてしまうわけですから。 1923年(大正12年)、関東大震災が発生。震災のドサクサにまぎれて、大杉栄と、伊藤野枝と、甥の宗一(大杉の妹の息子)が外出先で憲兵に連行され、そして絞殺され、古井戸に投げ捨てられる、という事件が起こります。その首謀者とされたのは、東京憲兵隊麹町分隊長・甘粕正彦(あまかすまさひこ)。甘粕は懲役10年の刑を命じられますが、実際は、軍の上層部がやったことだと言われています。 その後、甘粕は2年で出所し、満州国での警察トップとなり、さらには「満州映画協会」の理事長にまでなりました(『ラストエンペラー』で坂本龍一が演じていました)。しかし終戦直後、青酸カリを飲んで自殺。辞世の句は、「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」。・・・なんとも言いがたい辞世の句です・・・。谷底ライオンさんのサイトによると(→こちら。詳しいです!)、敗戦後に、甘粕氏の自殺を防ぐために部屋の外で見張りをしていたのは、映画科学研究所主事だった赤川孝一で、それが赤川次郎氏の父親だったとか、甘粕正彦をめぐる歴史的事実は興味深いエピソードでいっぱい。角田房子の『甘粕大尉』(ちくま文庫)も、面白かったです。 ついでに、もう一つ。伊藤野枝の元夫・辻潤についてもとっても面白いので、カンタンにまとめたいと思います。辻潤は、野枝に逃げられた後、プロ級だった尺八を教えたり、翻訳をしたりしながら、放浪生活を送ります。そんな時、日陰茶屋事件が発生し、その余波で辻潤までマスコミから注目され、著作の売れ行きも良好に。1922年、欧米で盛り上がりを見せていた芸術運動「ダダイズム」を知った辻潤は、自ら「ダダイスト」と名乗って注目の的になり、さらに、甘粕事件で殺された伊藤野枝の元夫、ということでまたまた注目されることになり、押しも押されぬ文筆家となります(ワイドショー効果ってあなどれませんね~今も昔も)。吉行淳之介の父・吉行エイスケも、辻潤を頼ってきたそうです。ちなみに、NHKドラマ『あぐり』では、森本レオが辻潤役でした。自身の不倫について「異文化交流」との迷言を残した森本レオ、確かにある意味、ダダかもです・・・。 1928年、読売新聞社の文芸特派員として、息子のまこと(野枝と潤の息子)と共にフランスのパリに1年滞在。ところが、せっかくパリに行ったっていうのにほとんど外出もせず、よりによって中里介山の『大菩薩峠』を親子で読みふけり、「フランス語の勉強をソッチのけにしてしまって、この一ヶ月あまりを親子二人で棒にふってしまった」というほどのダメ人間ぶりを発揮。その後、ニーチェの「超人」に対抗して「低人」という造語を考え出し、ダメ人間としての人生を着々と歩む辻潤・・・。やがてアル中となり、精神にも異常をきたし始め、全国放浪の旅に出てはタダ飯を食い、やがて戦争が激しくなってそれもままならなくなると、知人所有のアパートにとじこもり、やがて死んで発見されました。餓死だったそうです。現在に生きていたら、みうらじゅんみたいに「低人ブーム」とか言って楽しく生きていけたかもしれないのに・・・。 そんな感じで、戦前の日本の運動家たちを見てきましたが、結局、個人の自由をとことん追求し、戦ってきた、という意味では全員共通しているように思います。こういう人達が現代にいたらどうしていただろう、ということを私はついつい考えてしまうのですが、意外と、バリバリ働いて稼いでいるんではないでしょうかねぇ。何しろ、あのエネルギーですから・・・。まぁ個性が強すぎて会社勤めは無理かもしれませんが、たとえば、「この支配からの卒業~」とか歌ったりして、「個人の自由の追求」をお仕事にすることができたかもしれない(結局は長く生きられないかもしれないけど)。もしくは、「DT」とか「マイブーマー」を宣言して、お金を稼ぐこともできたかもしれない。個人の自由の追求がタテマエ的には奨励され、エネルギーさえあれば何とかなる、ということになっている現代。戦前に比べたら、そりゃあ良い時代だよな~と改めて思います。でも、「個人の自由は追求したいけど、そこまでのエネルギーはないよなぁ~」な人々(大多数はこの層・・)にとってはそれほど生きやすいとはいえないかも・・・? でも全ての人が完璧に幸せである状態なんて、この世にはナイとも思いますので、まぁ良しとしたいところです(だからと言って、あの世にもないと思いますが)。 >> 大杉栄に関して詳しいサイト。 「大杉栄」 「大杉栄に花束を」 「松岡正剛の千夜千冊『大杉栄自叙伝』」 >> 辻潤に関して詳しいサイト。 「辻潤の年譜」 「辻潤」 おまけ。 雪輪と花柄の羽織、麻の葉柄の紬の着物、花柄の刺繍の黒しゅすの帯。 (映画画像は、映画パンフレットからの掲載です。 何か問題がありましたら連絡ください。)
by houtoumusume
| 2006-02-11 23:43
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