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2006年 01月 23日
【編】朝日新聞社【出版社】朝日文庫 新聞、って、何だかエライものだと思われていませんか? 特に、「朝日新聞」みたいな大新聞となると、「大学受験に出題されています」とか、「教養を身につけることができます」といった、知的な媒体というイメージがあります。大新聞の新聞記者も、一流大学出身の、しかも何倍もの倍率の試験をクリアした知的な人々の集まり、というイメージがありますし。だから、新聞に「タレントの○○○が結婚」とか「女優の○○○が離婚」なんていう記事が掲載されると、「何でいちいち新聞に載せる必要がある? そんなのワイドショーかスポーツ新聞に任せておけよー」なんて思ってしまったりします。 ところが、過去を遡ってみると、新聞なんてそんなにエライものではなく、下世話で、いかがわしい、大衆の娯楽のうちの一つだったのでした。天下の「朝日新聞」だって、今のワイドショーやスポーツ新聞くらい、どーでもいいくだらない記事が満載だったわけです。大衆に喜んでもらわなくちゃいけませんからね。 本書は、そんな古き良き時代の「朝日新聞」のなかから、面白い記事をピックアップして集めたシリーズ。もう、ホント、面白ネタ&小ネタが満載! そのなかでも、面白かった記事を、ちょっと紹介したいと思います。 (本書の記事の文章、マジメな顔してシニカルな語り口が面白いので、なるべくそのまま紹介したいと思います。ただ、文章が古文調でちょっと読みにくいかと思ったので、「点」や「丸」を入れたり、現代ふうに書き直したり、省略したりした部分が多々あります。あしからず。) ~~読んで元気になれるお年寄り事件~~ ■78度目の嫁入り (明治17年5月11日) 「新潟県下越後国中頚城郡元屋敷村辺にて、高名なるお亀という72歳の古年増は、これまで76度も縁づき、三々九度の杯の数は己が年よりも多く積もりたれば、もはや寡婦(やもめ)にて暮らすならんと思いの外、またもや、去る2月中、同郡稲増村の老爺ナニガシの後妻となりしが、14~5日もたつと其の家をも飛び出し、この頃、またまた、新町村辺に78度目の嫁入りをなせしと、世に珍しき話にこそ。」 お亀さん・・・強烈・・・。 にしても、「三々九度の杯の数は己が年よりも多く積もりたれば」の一文、冴えてます。 ![]() ■81歳の婆がお産 (明治19年2月7日) 「京都府下愛宕郡貴船村の農民、服部勘兵衛は85歳、妻みとは81歳なるが、婆みとは、昨年1月ごろより腹が次第に膨れたれば、医師島津ナニガシを招きて診察を請いしに、医師はこれまでの容態を聞き、全く妊娠せしものにて、もはや5ヶ月になるとの事。それより5ヶ月を経て、今年1月28日の夜、異常もなく、めでたく玉のごとき男児を分娩したれば、家内の喜悦一方ならず、その児は・・・八十一(やそいち)と名をなづけ、戸長役場にも届け出、去る2日は六日立の祝いに、親族および一村の者を招きて、酒宴を開きたりと・・・」 ホントですかね? とにもかくにも、「八十一(やそいち)」は、傑作。 ![]() ■33年目にやっと結婚 花婿は72歳、花嫁48歳 (明治43年4月6日) 「しばしば本紙に記載した、木曽義仲の二十五代目落胤(らくいん)、木曽源太郎(72歳)は、このたび陽春の4月の佳期をトして、宮内省女官の梢(こづえ)命婦(みょうぶ)と、合きんの式を挙げるという。花嫁は本年48歳、その昔学習院の教授であった儒者・生源寺平格氏の愛嬢で、本名を伊佐尾子という。そもや、2人のなれそめは、恥ずかしながら今より33年の昔、25代目の義仲公が近江三井寺の境内に平格氏を訪れて・・・(略)」 『平家物語』の木曽義仲25代目子孫と、明治天皇の女官との、33年越しの愛。 しかも、72歳と48歳で、結婚。 ちょっとロマンティック。 ちなみに、木曽義仲とは、源頼朝・義経のイトコ。 (→家系図は、こちらのサイトが詳しいです) 『平家物語』好きの私としてはちょっと興奮なんですけど(笑)、、 義仲は、倶利伽羅峠の戦いで平家をやぶり、京都入り。 そこで、征夷大将軍(旭将軍)となりますが、後白河法皇と対立。 結局、源義経に討たれて死んでしまう、という人物です。 NHKドラマ『義経』では、小澤征悦(ゆきよし)が演じていたもよう。 あ、小澤征悦は、もちろん、小澤征爾の息子。 ![]() 何をしているところなのか? ~~ありきたりですけれども情死(未遂)事件~~ ■美人芸者・万竜と帝大生の恋 (大正2年3月27日) 「赤坂は岡場所の花と咲きながら、嬌艶の色にその名高き春本の万竜(20歳)は、青山北町7-2、横浜船渠会社員・工学博士・恒川柳作氏の長男なる、帝大仏法科学生・陽一郎(27歳)との間に、引くに引かれぬ義理と意気張り・・・」 赤坂の置屋・春本の芸者、万竜(田向静子)は、明治42年に『文芸倶楽部』でおこなわれた芸妓人気投票の1位となり、流行歌『間がいいソング』では「酒は正宗、芸者は萬龍」と歌われ、新聞には『萬龍物語』が掲載され、三越、クラブ化粧品、キリンビールなどの広告ポスターに起用されるという、有名な美人芸者でした。 ![]() ![]() ところが、明治43年、箱根で大洪水にみまわれて失神した万竜を、同じ宿に泊まっていた東大生・恒川陽一郎が助けたのをきっかけに、2人は恋に落ちます。恒川は足しげく赤坂に通いますが、そんな芸者遊びをするお金が続くわけもなく、ついに高利貸しから金を借りるように・・・。もう一緒になるしかない、そう思った2人は、春本の女将に直談判しますが、「身代金は大枚1万円、ほかに引き祝い5千円」と言われてしまいます。 陽一郎が「中学時代の親友なる青年文士・谷崎潤一郎氏」にすがったりして金策に奔走する一方、前途を悲観した万竜は、「青インキを飲み、自殺を企てしを、医師の手当てにて無事に済みたる椿事」を起こしてしまいます。陽一郎は、「ますます必死となり、谷崎氏の助力にて、まづ5千円を調達したれば、あと5千円は証文として万竜の入籍と引き換えに消す約束にて、去る25日、ようやく春本との談判整い、来月入籍の見込みとこぎつけたり」 というわけで、谷崎潤一郎に5000円を借り、自殺未遂までして、やっと2人は結婚できたのでした。めでたしめでたし! ついでに、後日談。 世間を騒がせた挙句やっと結ばれた2人でしたが、なんとその3年後、恒川陽一郎は病に倒れて死んでしまいます。 結局、未亡人となった万竜は、亡き夫・陽一郎の弟(早稲田大学建築学科卒)の恩師である、有名建築家・岡田信一郎と再婚。岡田信一郎は、西洋建築の第一人者で、あの有名な明治生命館、現在の歌舞伎座、鳩山会館、大阪中央公会堂などを設計したというスゴイ人。ちなみに万竜は1973年まで生きており、茶の湯の指導などに従事していたそうです(→岡田と万竜の結婚については、こちらのページが詳しいです) ■亡き夫を追って、服毒 (大正13年12月9日) 「去る三日、駒込病院で逝去した若き彫塑家・川崎繁夫氏の告別式は、7日午後2時から浅草区永住町の修源寺で執行され、未亡人富子さん(24歳)も施主として300余名の参列者の前に、痛ましい白無垢姿を見せたが、午後4時頃、式が終わって参列者一同ほとんど退席した頃、突如、顔蒼ざめて苦悶しつつ打ち倒れそうになったので、居合わせた家人近親はおおいに驚き、近寄って抱き起こし容態を問いただしたところ、同女は哀別を悲しみ、亡き夫のあとを追うべく、告別式の開始前、猫いらずを飲んで来た旨を告げたまま昏睡してしまったが、(中略)すこぶる重体である。 ・・・未亡人の懐中には、白鞘の匕首(あいくち)および家人にあてた遺書が発見された。・・・富子さんは、小説家・谷崎潤一郎氏のいとこにあたり、日本橋牡蠣殻町の谷崎株式店の次女で、4年前に川崎家に嫁いだものである。」 何かと登場してしまう、谷崎潤一郎・・・。 ![]() ■千家男爵令息の情死 (大正2年4月11日) 「昨暁2時10分頃、神戸発新橋着の上り列車が、今しも新橋ステーションに入らんとして芝区田町1丁目先を驀進中、闇の中に年若き男女2名、相擁したるまま線路に飛び込み、ついに見るも無残の轢死を遂げたり・・・。 取調べの結果、男は牛込新小川町、千家尊福男爵の三男、鯱丸(しゃちまる!)(19歳)、女は牛込区西五軒町15の玉突き屋、牛込倶楽部、山本鉄吉の次女、しづ(17歳)なる事、判明せり。 鯱丸(しゃちまる!)は、千家男爵の三男にして、名門の出なるにもかかわらず、評判の不良少年にして、素行おさまらず、しばしばその筋の注意人物として注意を受けたる事あり。一時は、麻布我善坊町の不良少女・水野ふじ子(19歳)といえる、芝公園ブランコ組の莫連女(ばくれんおんな)と関係して、同女の宅に入り浸りいたるが、ついに素行おさまらず、しづと関係するに至れり。 しづは・・・、裁縫、常盤津の稽古に通い、帰宅後、妹さわと共にゲームを取りおり。鯱丸(しゃちまる!)が同家に初めて行きしは、本年2月6日にして、それ以後ほとんど連夜のごとく出かけ、ついに恋愛関係を生じたるも、山本方には黙許の姿なりき。 しかるに、この事いつしか父・男爵の耳に入り、8日夜、兄と男爵にて、こんこんとその不心得を訓戒したるに、本人は以後改心すべきを誓いしが、なかなかにしづの事は忘れられず、9日午後、友人宅に行くと称して家を出て・・・前記の次第に及びしものなるが、しづは、華美作りの浮気性の女なり。」 やはり、名前がいけなかったのでしょうか・・・。 この他に、本書に載っているなかで俄然注目だった名前は、鞭子(むちこ)。 (旧富山藩主・前田利同伯爵の二女) それはいいとして、、個人的には、「芝公園ブランコ組」という組織が気になります。 「東京流星会」とか「相模悪龍会」みたいなもの? (『不良少女と呼ばれて』より) 「莫連女(ばくれんおんな)」という響きも、ステキ。 ![]() ■実の兄妹が情死未遂 (明治19年10月2日) 「京都葛野郡の農ナニガシが、桂村の字不動ケ辻というところを通行の際、年若き2人の男女が経帷子を着し、西に向かいて念仏を唱えおる・・・(中略)・・・やがて、男女は松樹に木綿のヒモを吊るし、今やくびれ死なんとせしほどに、ナニガシ、さてこそとおどり出で、「マァマァ待った」と引きとむるを、男は聞かず、理不尽にも下駄をふりかざしてナニガシに打ってかかり、頭部に一ヶ所の傷を負わせしを、ナニガシ大いに怒り、飛びかかって取り押さえんとする勢いに、男は早くもその場を逃げ出し、続いて逃げんとする女をやうやう引き捉えて仔細をただせしに、この者は乙訓郡の農、木村甚兵衛の娘みき(18歳)、逃げたる男はみきの兄なる佐二郎(23歳)・・・(中略)。 ・・・同署にてなおよく事情を尋問せしところ、みきは、かねて兄の佐二郎と人知れず情を通じおりしに、この頃ある方へ嫁付く相談の調いしゆえ、かくてはとてもそふ事ならず、もとより血を分けし兄妹が、よしや父母の許せば、とておめおめとそふ頃のなるべきと思えば、互いに申し合わせ家を走りし末、右の次第に及びし旨述べたるにぞ、巡査も呆れて言葉出ず。やがてみきを父に引き渡せしが、佐二郎は人を殴打したる罪あるをもって拘引せんとせしも、どこへ逃げ去りたるか今にありかの知れざるよし。」 やっぱり出ました、近親相姦。 でも結構あったんじゃないでしょうかね~、この手の事って。 (野坂昭如の『骨餓身峠死人葛』を思い出します・・・) それにしても、この兄ときたら、せっかく命を救ってもらったっていうのに、 逆ギレして下駄で殴りつけるあたり、生命力の強そうな感じです。 ~~反社会的ビックリ事件~~ ■互いに権的を交換 (明治14年5月10日) 「このごろ東京の紳士達が交際はなるたけ親密にかつ打ち解けて睾丸(ふんぐり)を段違ふほどにするがよいとて、互いに権的(=権妻=妾)を交換し、最愛の猫的(=芸者などの妾)を譲り替えるなどが大流行のよし、いかに交際は親密がよいとて、これはまた奇々の親密なるかな。」 スワッピングのはしり?! 淑女としてはあまり指摘したくはないのですが、 「ふんぐりを段違ふほどに」って・・・。すごい表現力。 ![]() 「じゃあ、この煮物ととりかえましょうよ」 「OK! スワップね!!」 「・・・・・・」 ■女同志夫婦 (明治32年11月13日) 「京都祇園新地の女義太夫・小松染松(20歳)は、女髪結い安井タメ(20歳)に恋し、一夜、某割烹店に会してその切情を語るに、タメもまた染松を憎からず思い、爾来、両人はただならざる仲となり、染松より下のごとき契約書を出して、終生変わる事なきを誓う。いわく、 一、このたび、夫婦契約をしましたこと実正なり。しかる上は、この後、いかなること相生じ候へども、決してよそへ縁づきはいたしませぬ。 一、もし、他の男とでも女とでも夫婦契約をしましたれば、違約金100円を差上げます」 違約金、っていうところが、ビジネスライクで好感がもてます。 さすが、働く女!!(女義太夫&女髪結い) ![]() ~~心底どーでもいい事件~~ ■乞食の結婚式 (明治31年11月11日) 「千葉県夷隅郡浪花村に、乞食の結婚式あり。砂地に穴を掘り、塩水を入れて風呂となし、婿殿、まず湯沐し、にごり酒とイワシとにて三々九度の式を挙げ、謡ふやら飲むやら大騒ぎをなせり。」 「放っといてくれ。」(by乞食) ![]() (註:以上、このページに載せた写真は、本書に掲載されているものではありません。)
by houtoumusume
| 2006-01-23 04:32
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