|
|
2005年 07月 28日
ソビエト連邦が解体したのが、1991年。もう14年も前になるのですね~。高校受験のときに、一生懸命、「ソビエト社会主義共和国連邦」だの「コルホーズ」「ソフホーズ」だの暗記したのが、ついこのあいだのような気がするのですが・・・(そして、未だにコルホーズ・ソフホーズの意味がよくわかっていません)。私などは社会主義思想になじみのない世代なので、ソ連解体と言われても「ふ~ん。まぁ世の中変わるもんね」くらいの感想しか持ちませんでした。でも、私の父親なんかは学生運動まっさかりの時代の人なので、「ソ連が解体するなんて信じられないよなぁ~うむ~」としきりにうめいていて、「そんなものかなぁ」なんて思ったものです。実際、ソ連といえば、池田理代子の名作マンガ『オルフェウスの窓』くらいのイメェジしかありませんでしたし(・・・ってあれは、ロシア革命の話ですけど)。
そういえば、ソ連が解体する頃、しきりにTVで「ヒドイ状況下にあるソ連の庶民たち」の映像が流れていましたよね。食料品店のガラスケースがカラッポになっている映像とか。そんな映像が流れることによって、「ソ連が解体するのは仕方がない」という雰囲気になっていましたが、実際はどうだったんでしょうか? どちらにせよ、何とな~く、暗い重いイメェジが刷り込まれてしまったような気がします。 そんなソ連時代、しかもソ連がアメリカと張るパワーを誇っていた60年代の、少年少女の写真を「Moscow House of Photography」で見つけました! 何のために撮られた写真なのかちょっとよくわからないのですが、とてもイイ雰囲気の作品。 「Katya and Kolya at home and in school (学校とお家での、カーチャとコーリャ)」 「清く正しい少年少女」というところでしょうけど、親も先生も出てこないところが不自然でスゴイ。なんか、若い二人の夫婦、みたいになっちゃってて、そこはかとなくセクシャルな雰囲気が漂っている気がするのですが・・・。それに、この規則正しい日々、そして明るくふるまいつつも影のさした暗い表情、っていうのも抑圧を感じさせてかえってエロティックです。・・・って、私の愚かな深読みですね(笑)? ところで、ロシアの若者と言えば、t.A.T.u(タトゥー)。い、いや、もちろんもう古いネタですが、それくらいしか知らないんです・・・無知ですみません。。 t.A.T.u のちょっとイイ画像↓↓ イイ絵だなぁ・・・しみじみ。。。 ちなみに、当然ながら、ポスト・タトゥーも出てきてるらしいです。 ↓ ・・・こ、濃い・・・。 グループ名はPROPAGANDA(プロパガンダ)。 いかにもなネーミングだ・・・(笑)。 (詳しくはこちらのペエジへ。) おまけ。 >> ロシア情報が満載~! 「ロシアンぴろしき」 >> いろいろなチェブラーシカ・グッズのコレクションを見ることができます! 「チェブラーシカの部屋」 特に、ロシア現地のチェブ・グッズは垂涎ものです~↓ #
by houtoumusume
| 2005-07-28 17:10
| ◆芸術
2005年 07月 26日
【著者】ヴィゴー・ショークヴィスト
【訳者】高藤直樹 【出版社】音楽之友社 歴史上の偉人には、「悪妻伝説」がついて回ることがよくありますよね。たとえば、ソクラテスの妻・クサンティッペ、トルストイの妻・ソフィア、夏目漱石の妻・鏡子、森鴎外の妻・しげ、などなど。 モーツァルトの妻・コンスタンツェ(Konstanze Mozart)(1762-1842)も、そんな「天才の悪妻」のひとり。その理由としては、「浪費家だった」とか、「貞操観念がなかった」とか、「夫を共同墓地に埋葬して、墓標も立てなかった」とか、まぁ色々言われてきました。 そういえば、アカデミー賞8部門受賞に輝いた映画『アマデウス(Amadeus)』(1984年)でも、妻コンスタンツェは、遊び好きな、童女のような女性として描かれていたように記憶しています(ちょっと記憶が定かではないのですが・・・)。 映画のなかの可愛いコンスタンツェ。 コルセットでもちあげて上乳?を盛り上がらせる、 というこの時代特有のセクシィなデコルテに注目! ↓ ところが。実際のコンスタンツェは、そんな子どものような女性ではありませんでした。もちろん、生真面目でピューリタン的なモーツァルトに比べれば、コンスタンツェは庶民的なコケットリィの持ち主ではあったようですが・・。その彼女のコケットの例として挙げられているエピソードが面白かったので、以下に掲載します。 コンスタンツェは「罰あそび」なる遊びをするような集まりに一人で出かけたことがあったらしい。彼女はそこで、「罰」として男性の一人に自分のストッキングの長さを測らせたのだった。 (中略) この話を聞くとモーツァルトは大いに怒って、そうした行為をしたことについてコンスタンツェを責めた。コンスタンツェはこれに対して激怒して、同じ日に三度にわたって婚約を破棄すると言っている。罰あそび!!!! 楽しそうですね~~私も参加してみたい(笑)。しかしこんなの、若者のたわいもない遊び、と言ったところですよね。まぁ、嫉妬して怒るモーツァルトの気もちもわかりますけど(笑)、でもそれって彼女が男友達と飲みに行っただけで怒るヤキモチ屋さんの彼氏、って感じ。それに何といっても、時代はロココですよ。『カサノヴァ回想録』を読めば一目瞭然ですが、この時代の性に対するオープンさと言ったら、こんなもんじゃありません・・・。 コンスタンツェの姉の夫ヨーゼフ・ランゲが描いた、 新婚ほやほやのコンスタンツェ。20歳。1782年。 ↓ そして、それよりも何よりも、後世のモーツァルト研究家がコンスタンツェを非難する最大の理由は、夫を共同墓地に埋葬したままうっちゃっておいた、という件でしょう。これには、後世の人々の大きな誤解がありました。実際、墓地=「死者の園」というようなイメージは、19世紀以降のロマン主義の時代に生まれたもの。それまでは、墓地なんて単なる死体の埋葬所にすぎなかったんだそうです。モーツァルトが死んだのは1791年。当時のウィーンでは、貴族や財産家以外の庶民の遺体は、袋のなかに入れ、他の4、5体の遺体とともに埋葬するべし、という規則がありました。さらに、墓標を立てることも禁止されていた上に、こうした埋葬現場に遺族が立ち会うという習慣もなかったんだそうです! こんな状況では、夫モーツァルトがどこに埋められたのかなんて、わかるはずもありませんよね。 ハンス・ハンセンが描いたコンスタンツェ。40歳。 この絵は、かなり潤色されているそうです(笑)。 ↓ 本書『コンスタンツェ・モーツァルトの結婚 ~二度ともとても幸せでした』では、こうしたコンスタンツェへの誤解をていねいに解いたうえで、さらに素晴らしい事実を教えてくれます。夫モーツァルトが死んだ後のコンスタンツェの辣腕ぶり、です。 夫が亡くなった後の彼女、借金と2人の息子をかかえて呆然・・・となるかと思いきや、さっそくヤリ手ぶりを発揮します。『皇帝ティートの慈悲』『魔笛』の総譜を高値で売る、プロイセンに8つの作品と『レクィエム』の作品を売る、『イドメネオ』と『皇帝ティートの慈悲』のピアノ譜の予約出版についての広告を新聞に出す、それからモーツァルトの曲の演奏するための演奏旅行を実行し、かなりの評判を得る・・・。そんなわけで、ついに夫の死後数年で、過去の借金をすべて返済したどころか、今度は自分が「金貸し」の立場になってしまったのでした!! その後、コンスタンツェはデンマークの外交官ニッセン(Georg Nikolaus Nissin)と出会い、結婚します。このニッセンがまた非常にすぐれた人物で、モーツァルトの姉ナンネルからモーツァルトの書簡をすべて預かり、モーツァルトの伝記を執筆するわけです。ところが、その執筆中に病死。けれどコンスタンツェは夫の死に打ちひしがれる間もなく、また立ち上がるのです! そして忠実な助手を探してきて伝記を完成させ、この本を売るために奔走。売り上げは芳しいものではなかったようですが、モーツァルト研究において大きな価値のあるこのニッセンの伝記を世に出したのは、コンスタンツェだったとも言えるわけです。 デンマークの公使館つき書記官、ニッセン。48歳。 ↓ こんな功績のあるコンスタンツェが、なぜ悪妻として非難されてきたのでしょうか? モーツァルトが生きたのは18世紀ロココの時代でしたが、モーツァルトの研究が盛んになったのは、19世紀ロマン主義の時代。この時代の人間が、コンスタンツェのような現実的で理性的な女を好ましいと思うはずがありませんね。ロマン主義時代の理想の女性といえば、感情におぼれて失神したり、果ては狂い死にまでしそうな女性、なんですから・・・(→参考『アドルフ』のペエジ)。そんなわけで、後世のモーツァルト研究家からは「悪妻」の烙印を押されてしまったコンスタンツェ、私から見たらまさに理想的! 常に前向きで、精神的に安定していて、論理的に物ごとを処理できる人。いわゆる肝玉母さんってヤツじゃないでしょうか。生前のモーツァルトは、このしっかり者の妻に支えられて、さぞかし安心して創作活動をおこなえただろうと思います。 コンスタンツェの姉の夫ヨーゼフ・ランゲが描いた、モーツァルト、33歳。 彼を知る人全てが「これが最良の肖像画」だと言っていたとか。 ↓ 後年、コンスタンツェは、友人にこんな手紙を書いているそうです。 「モーツァルトもニッセンもいなくなりました。私は二人の偉大で輝かしい夫を持ちました。彼等は私を愛し、感謝し、崇拝さえしてくれたのです。私も夫たちを心から優しく愛しました。ですから私は、二度ともとても幸せでしたし、こんな幸運はこの世の中で誰もが出会えるものではありません。」そして、1842年に亡くなりました。 ところで、最初のほうにもチラっと触れましたが、映画『アマデウス』に出てくるコンスタンツェが、とにかくもう物凄く物凄く、可愛いのです!! まるでロココ時代を体現するかのような存在。ブーシェの絵からそのまま抜け出してきたかのような、軽くてふわふわシャラシャラしたイメエジ。ロココ好きには、もうたまりません~~~! これですね~ ↓ ちなみに、私は見ていないのですが、3年ほど前に『アマデウス ディレクターズ・カット版』DVDが発売されました。未公開シーンが20分もプラスされているそうで、よりわかりやすくなっているとのことです。 そのなかでも見どころ?になっているらしいのが、コンスタンツェとサリエリとの関係を描いたシーンだそうで。 私でさえ気になっていた、コンスタンツェの豊かな胸元・・・ ↓ やはりサリエリさんも気になったようで、、 実は、こういうメにあっていたようす・・・。 ↓ ↓ ↓ ↓ が、詳細は不明なので、改めてディレクターズ・カット、見てみようと思います!! (この情報については、「酒とDVD三昧の日々」のペエジを参考にさせていただきました!) ちなみに、コンスタンツェを演じたのは、エリザベス・ベリッジ(Elizabeth Berridge)というアメリカの女優。撮影当時、22歳だったそうです。 その彼女の、2004年のスナップはこちら。 ↓ ↓ ↓ (ついでですが、この↑映画のサイトがあまりにお粗末でビックリ。2001年の作品ですが、確かに4年前のweb環境ってこんな感じだったかもなァ・・・。隔世の感。) >> モーツァルトの家族について詳しいペエジ。 「旅人モーツァルト」 >> 映画『アマデウス』成立について詳しいペエジ。 「YUTA-MAGAZINE」 #
by houtoumusume
| 2005-07-26 23:00
| ◆本
2005年 07月 23日
乙女な手作り弁当を「コロコロザイーガ」で発見!
(注:この乙女な手作り弁当の出自がわかりました! 「e-お弁当作っちゃいました!」というサイトの、投稿ベェジだったみたいです。ほかにもいろんな可愛~いお弁当がアップされているので、ホントに必見です~! 2005年8月1日) ■少女マンガ弁当シリーズ。 「えぇ、レーザーで取ったの。ホントは気にしてたわ・・・(ソバカスを)」 「姫川亜弓に髪型をマネされて、相当ムカついてます。」 「ぶっちゃけ、もうどっちだっていいわよーーッ!!!!!(←紅天女のこと)」 ■世界名作劇場弁当シリーズ 「最近はファミマで稼いだりしてるよ!」 「本当は高貴な生まれでお金もちだったのに・・・(暗)」 ■魔女っ子弁当シリーズ 「わかってるわ、貴方も私に夢中ね? シャランラ~」 「何で私の町に来てくれなかったんだって言われてもねェ・・・(苦笑)」 ホントにステキな弁当たち・・・ため息ものです。やっぱりここまでやらないと乙女じゃないでしょう!!って、こんなの作るのって、ある意味乙女ではないか・・・。まあ、乙女かどうかはどうでもいいんですが、とにかく女の子魂(スピリット)がたっぷりこめられた弁当ということで。 けれど、乙女に必要な何かが欠けている・・・そんな気がしませんか? そう、動物たち。乙女には動物がつきものですよね? 少女期のエリザベス・テイラーの横に必ずコリー犬がいたように、パリス・ヒルトンの横に必ずチワワ犬がいるように、横にカワイイ動物がよりそってこそ、乙女は完璧な乙女になるというわけです。 そんなわけで、弁当に動物・・・。どうしたらよいのでしょうか? そう、ウィンナーです。ウィンナーの動物です! ウィンナーの動物と言えば、タコが一番有名ですが、実はタコだけじゃないんですよ・・・!! その知られざる生態をここに紹介したいと思います。 (参考:日本ハム「ウィニー」) ■水辺の生きもの ■陸の生きもの ■空の生きもの もちろん弁当のほかにも使えますよ。 テーブルが楽しくなることうけあいです!! あぁ、乙女って、何だか業が深いですね・・・・・・。 #
by houtoumusume
| 2005-07-23 03:46
| ◆thats fabulous!
2005年 07月 21日
クリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)のお洋服が可愛いのです! ホントに、ちょっと前までは「尻まる出しコギャルヤマンバ汚れ系」だったとはとても思えない変貌ぶり! ・・・と言っても、私はアギレラのファンでは全然ありませんし、未だに曲も聴いたことがないので、アギレラについて語る資格はありません(笑)。でも、以前「 Ellen von Unwerth によるアギレラのカレンダーフォト 」(こちら)をアップしましたが、私はこういう「バーレスク系ファッション」がたまらなく好きなんです・・・。こういうファッションだったら、アギレラじゃなくても誰でもいいんです・・・。
そんなわけで(どんなわけだ?)、、 アギレラ・ファッション・ショウを勝手に開催~! 「あなたのクルマにイタズラしちゃった」。 お茶目路線。 当然、エロ秘書。 何か失敗した時、とっさにとりたいポーズ。 嘘がバレた時に、やってみたいポーズ。 レディース? 理想の若妻。 2004年のマリリン。 エキゾチックな踊り子。 サンバのリズムはさらに激しく・・・ より一層、情熱的に・・・ 「パンがないならお菓子を食べればいいのに」 「今欲しいものは、カラス口ペンと雲形定規」 お気に入りの靴(ルイ・ヴィトン)は使いまわそう! いらなくなったら友達にあげちゃおう! のばらちゃんが羨ましがりそうなゴス系包帯。安藤和津似。 何度もしつこいようですが、、ちょっと前まではこういう人でした・・・ ↓ でも、今だって体張ってます。 ↓ ちなみに、、 クリスティーナ・アギレラがフルで使いまわしていたルイ・ヴィトンの赤い靴は、 激ヤセして妖艶になったクリスティーナ・リッチが宣伝していました。 クリスティーナつながり? #
by houtoumusume
| 2005-07-21 23:26
| ◆御洒落
2005年 07月 20日
結構前のニュースなんですけど、パリス・ヒルトンがまたもやトンチンカン発言をしまして、その文面が面白かったので掲載~。
ギリシアの大富豪の御曹司パリス・ラティス君と婚約中のパリス嬢、なんと「ロイヤル・スタイルの結婚式を挙げたい」と熱望しているのだとか。イギリスのセント・ポール大聖堂、ウェストミンスター寺院、ウィンザー城などが候補にあがっていたようですが、これらの場所は伝統的にロイヤル・ファミリーでないと使用できません。それでも諦め切れなかったパリス嬢は、チャールズ皇太子にお願いのお手紙を出したんだそうです・・・(笑)。 以下、パリス嬢の発言。 (「海外芸能人最新情報」ブログよりコピペさせていただきました!) "I've always wanted to be a princess on my big day and only a wedding in England could make that happen.(私はいつも、大事な日にはプリンセスでありたいと願っていたの。イギリスで挙げる結婚式だけがそれを可能にする。) さすがです! パリス嬢は、日ごろから周囲の人々から「プリンセス」と呼ばれていたり、マスコミにもよく「アメリカン・プリンセス」と(皮肉まじりに)書かれていたり、何かというとティアラをかぶりたがるような娘なので、本気で「私はお姫さまだもの!」と思っているんでしょうね。オモシロイですね。 ところで、パリス嬢が結婚式をあげたいと熱望していたのは、セント・ポール大聖堂、ウェストミンスター寺院、ウィンザー城。それぞれどう違うのだろう?と思って、ちょっと調べてみました。 ■セント・ポール大聖堂(St Paul's Cathedral) ロンドンの金融街シティにある、イギリス国教会の大聖堂。 (*イギリス国教会について。 元々はローマ・カトリック教会の一部だったが、16世紀頃にヘンリー8世(1491-1547)の離婚問題等でローマ・カトリック教会と対立し、分離した。教義的には、カトリックとほぼ同じ。英国の統治者が、教会の首長となる。) [埋葬されている人々] トラファルガーの戦いでナポレオンを破ったネルソン提督、ワーテルローでナポレオンを破ったウェリントン公爵、画家のターナー、画家のヴァン・ダイク、ラファエロ前派のジョン・エヴァレット・ミレー、ラファエロ前派のフレデリック・レイトン、建築家クリストファー・レン、他。 [結婚式をあげた人々] ダイアナ元妃とチャールズ皇太子。 [豆知識] 映画『メリー・ポピンズ』で鳩にエサをやるお婆さんがいたのはこの大聖堂です!「鳩に2ペンスを」が歌われるあの階段のシーンを思い出します~! ■ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey) ロンドンにあるイギリス国教会の教会。 元々(1540年まで)カトリックのベネディクト会大修道院だったことから、「The abbey(修道院)」と呼ばれていますが、実際はイギリス国教会の大聖堂。 [特徴] 王室行事が行われる、通称「王室の教会」。歴代のすべての国王・女王(エドワード5世、8世を除く)が、ここで戴冠式を行っています。また、王室の結婚式や葬儀などにも使われ、歴代の王もここに埋葬されています。 ダイアナ元妃の準国葬が行われたのもここ。(ただし、埋葬されたのは、ダイアナ妃の故郷ノーザンプトンシャーのオルソープ)。 [埋葬されている人々] 歴代の王・女王(ヘンリー7世、エリザベス1世、スコットランド女王メアリー他)、科学者ニュートン、進化論のダーウィン、作曲家のヘンデル、ディケンズ、『カンタベリー物語』のチョーサー、『ジャングル・ブック』のキプリング、他。 [豆知識] イギリスでは、「自分が死んだらウエストミンスター寺院に入る」という言い方があるそうです。つまり、「自分は有名になる」という意味。 ■ウィンザー城(Windsor Castle) ロンドンから西へ約1時間ほどの場所にある、女王陛下が週末を過ごす城。 [特徴] 女王陛下の居住であるとともに、国賓を迎える迎賓館でもあり、チャペルもあります。もちろん、結婚式や葬儀なども行われます。 [豆知識] ウィンザー城には、有名な「メアリー女王のドールハウス(Queen Mary's Dolls' House) 」が展示されています。み、見たい!!!! ん~~。確かに、由緒ある場所ばかりですね。いくらお金持ちのパリス×2でも、こんな場所でロイヤル・ウェディングを挙げるのはムリかと思われます。 が。ロイヤル・ウェディングを挙げる2つの方法が・・・! ①ウィンザーのギルド・ホール(市庁舎) ウィンザー城から1分くらいの場所にあるギルド・ホール(市庁舎)は、チャールズ皇太子とカミラ夫人が結婚式を挙げた場所。ここだったら、誰でも結婚式を挙げることができるそうです!(レンタル料50000円程度)。しかも、セント・ポール大聖堂の設計をしたクリストファー・レン設計の、歴史的価値のある建物ですし。 ね、れっきとしたロイヤル・ウェディングですよ♪ ②セント・ポール大聖堂の聖フェイス教会 セント・ポール大聖堂で働く人は、大聖堂に付属している聖フェイス教会で結婚式を挙げることができるんだそうです! 「チャペルの清掃員にでもなれば、ここで結婚式を挙げられますよ」と関係者は話している、とか(笑)。 #
by houtoumusume
| 2005-07-20 23:53
| ◆噂
|
ファン申請 |
||